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今99年の岩波「世界」シンポジウムの字起こし読んでるんだけど

冒頭に
"この年、自民党・自由党・公明党の三大与党が「巨大与党」体制を形成し、第145国会では、日米ガイドライン関連法、通信傍受法、国旗・国家法、住民基本台帳改正法など、問題法案が次々と成立しました。"
とあって

25年間もこの状態続いて変えられんかったんか、とちょっとうちひしがれてる

国旗・国歌法に関して
巻末に坂本義和 東大名誉教授(当時)の言葉がある

「君が代」が気持ち悪く感じるのはどういうことかと40カ国ほどの国歌を調べたところ、途上国を含め、そのうち半数以上の国歌に「自由」というキーワードがある。「君が代」には「自由」というキーワードがない。

それだけでなく"万世一系の天皇の治世が未来永劫続くように願うという国は、相当に「普通でない国」だと思"う、とあり、たいへんに納得した。

また「そんなに嫌なら日本から出ていけ」というような捨て台詞は当時もあって、それに対しては、"ここにあるのは、思想的な「民族浄化」です。"と言ってのけてもいる。

「マイノリティの自由について」
同じく 坂本義和の言葉。
引用の字数が多いが、ことごとく近年向き合っている問題・昨年末からマストドンでやりとりしてきた内容にも通じる。
遅まきながら今こそ輝くことを思い、ここで共有する。

マイノリティの自由を認めない日本国家は、早晩、国際的にも孤立すると思います。また、それを認めない日本社会は、ますます荒廃していくと思います。ですから、そういう意味では、体制側に問題があるのですが、しかし、われわれがしなくてはならないことは、それに代わる日本社会をつくることだと思うのです。
そのためには、いま起こっている国家主義への回帰に、どのような歴史的根拠があるかを明らかにする視点に加えて、もう一つ、私が必要だと思うのは、未来から見るという視点です。
(中略)
21世紀にはいろいろな変化があると思いますが、その一つとして、早晩世界の各地で(中略)一つの旗ではなくて、二つの旗、場合によっては国連旗とか、いくつもの旗を立てることが「普通」になってくる。歌もいくつもあるというのが未来の国家でしょう。それができない国家は、おそらく21世紀の国家としては欠格ではないでしょうか。(中略)

マイノリティの自由というのは、数量的な少数者の問題ではなくて、人間の良心の自由を普遍的に認めるのか認めないのか、という問題だと思います。言い換えれば、われわれ一人ひとりの人間としてのアイデンティティを認めるような社会に、われわれは生きているのかどうか。もしそうでないとしたら、それを変えなければならないのです。
一人ひとりのアイデンティティー私の言葉では「尊厳と平等な権利」にあたるのですが、それを互いに認め合う社会的人間関係を私は市民社会と呼んでいます。市民社会というのは必ずしも、すでにあるものだけではない。それはたたかう市民社会、つまり、自分をつくっていく市民社会です。それは、いつもマイノリティから始まり、だんだん連帯の輪を広げて、新しい社会をつくっていくプロセスなのです。
(中略)マイノリティの連帯を、どうやって強化していくかが、私たちの共通の課題だろうと思います。そのためには国内でのネットワークを強めていく。国旗、国歌、天皇制に関心を持っている人も、あるいは、人間のアイデンティティや人権を軸にして、」外国人の権利、女性の権利、高齢者や子供や身体障害者の人権などの問題にtpりくんでいる人びと、環境との共生や反戦・反核の課題に取り組んでいる人びとがネットワークをつくっていく。
具体的に取り組んでいる課題は多様ですが、共通するのは、人間らしいアイデンティティを確立していく、たたかう市民社会を目指しているということです。孤立感や無力感を超えて、こうしたネットワークを、どうつくっていくか。これが我々の課題なのだろうと思います。

と同時に、この問題は日本だけのことではありません。私も多くの友人が、いろいろな国におり、少数派として、人間のアイデンティティ、自分たちの尊厳と平等な権利のためにたたかっています。皆さんも、こうした人たちとのネットワークを、いろいろ持っておられると思います。
グローバリゼーションのなかには、(中略)市民的な規範のグローバリゼーションも、たしかに進んでいるわけで、それとリンクしながら、いろいろな知恵を出し合っていくことが、いま必要ではないかと思います。
私は「民主主義の危機」という言い方があまり好きではありません。(中略)「今こそ日本の民主化を」というとらえ方です。英語で言えば、"Redemocratizing Japan"でしょうか。


キエナイニュース

「日本と世界の戦後反省について」
高橋哲哉 東大助教授(当時)

フィリップ・モロー・ドゥファルジュ パリ政治学院教授(当時)
「リペンタンスとリコンシリエーション(改悛と和解)」99年刊
"Repentance et Réconciliation" written by Philippe Moreau Defarges

を引き

戦後反省(本文では改悛repentance)のグローバリゼーションが起きている(最下部に年表※網羅的ではない可能性)、

(後世の日本人が直接の戦争責任を負っているわけではないものの
この主に90年代に入ってからのグローバルな動きの中で
日本が迫られている戦後責任について理解する必要があるのでは、と高橋は当時している)

この「リペンタンスとリコンシリエーション」という本の中で「拒否されたリペンタンス」と言う1章があり
世界的に求められているリペンタンスを拒否する国として
トルコと日本の2国をあげている
(ちなみにトルコはオスマントルコ時代のアルメニア人虐殺。今も認めていない)

アジアでは日本とアジア諸国との和解に関して、少なくとも90年代前半、ポジティブな動きがあったという
戦争被害者として個人が名乗り、日本の側でも、それに応えようという運動があった

ところが95年あたりから逆流が起こってきたという
93年に細川首相が侵略戦争と植民地支配の責任を認める発言をしたことが直接のきっかけ
それに危機感を抱いた人たち、特に国会議員のグループが「歴史検討委員会」結成、戦後50年国会決議に反対する動きを強めた
結果として、決議はしたものの侵略・植民地支配の主体を明記せず,反省と謝罪の文言は「深い反省の念を表明する」となり,不戦の誓いもない
kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E5%

ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B

ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9

10mtv.jp/pc/content/detail.php

その後はみなさんもご存知のとおり
自由主義史観、新しい歴史をつくる会と言う動きが出てきて、文化人、言論人などの側からナショナリズム(というか、ひいては日本の戦後責任否認)の動きが起きた
(99年時点で自由主義史観・藤岡信勝により南京大虐殺マボロシ説もすでに採られいる)
この人たちが大きなキャンペーンを敷いたため、世論に効いたと見られる

引き続き高橋曰く
90年代後半は世論だけでなく、マスメディア全体の雰囲気が、いまや時代はナショナリズムといった雰囲気であり
この雰囲気の強まりが99年第145国会で問題法案が次々通った背景にあった

ーーーーーーー(戦後反省年表)ーーーーーーー
70年代はじめ 西ドイツのブラント首相がワルシャワゲットーの前でひざまづいて象徴的な謝罪を行う
75年ごろ? ニュージーランド マオリとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き
70〜80年代 ドイツはパブリックに過ちを認めて可能な限り補償するという路線
95年 フランス・シラク首相 ドイツに占領されていた時代のドイツへの引き渡しを含む反ユダヤ政策を国家として初めて認め、謝罪
教会・警察なども、傍観・強力していた罪を謝罪
東欧の社会主義圏崩壊後 ポーランド・チェコ・ハンガリーの大統領や政治指導者 自国のユダヤへの迫害政策を謝罪
97年以降(ブレア首相になってから) イギリスはアイルランドに対し、150年前の飢饉の際に見捨てたことまで遡って謝罪
99年ごろ フランスがホロコーストの問題だけでなく、アルジェリア人への植民地支配に関してパリのアルジェリア人を弾圧した事実を認める動き
90年代(南アフリカのアパルトヘイト終了後) 南ア真実和解委員が作られる ツツ大司教がアパルトヘイト時代の人権侵害に関して 黒人の側、ANC(アフリカ民族会議)の側のテロ行為も含めて詳細な報告書を出している
90年代後半か 南米 チリやアルゼンチンの70〜80年代にかけての軍事政権時代の人権侵害について精算の動き
90年代 オーストラリア アボリジニとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き



コトバンク戦後50年国会決議(せんごごじゅうねんこっかいけつぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンクブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 戦後50年国会決議の用語解説 - 1995年6月,衆議院で採択された「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」。第2次世界大戦後 50年にあたり,アジア諸国における侵略行為と植民地支配に対して明確な反省と謝罪を行い,平和・不戦への誓いを表示するというのが当初の社会党...

引き続き99年の岩波「世界」シンポジウムの文字起こしを抜粋していく。

こちらは99年当時の予想とは思えない。

金子勝 法政大教授(当時)

歴史から見ても、一人一人が抱える不安とかリスクが進行しているときに限って、「自己責任」だとか「自己決定」という言葉がシャワーのように浴びせられるのです。ファッショ(=ファシズム)の前にはつねに、自由主義的な民主主義の徹底が存在します。このパラドックスをわれわれはいま、経験しているのです。

つまり、自分ではどうしようもないリスクなのに1人で解決しなさい自分で処理しなさいといわれる。しかし、一人一人の人間にとってはどうしようもないわけです。そのあとにはつねに全部、すべてをだれかが決定してくれるという安らぎが待っているのです。それはあるときはオウムのように神であったり、あるときは強いリーダーシップであったり、あるときは死というか、みずから自殺を選ぶということであったりする。

民主主義の危機の底にはつねに社会の危機があります。一方にそれを見ようとしない為政者があり、もう一方には、それにプロテストをしたり、批判意識を持っている人たちがまたその現実を見ようとしない。それをとらえる感性が磨滅するときに、民主主義の危機が生じるのです。

さて、第一の問題はグローバライゼーションです。グローバライゼーションに対する対抗戦略を、ほとんど野党も学者も運動団体も持っておりません。本質を暴こうとする人たちもほとんどおりません。政権政党がきちんとした対応をしているかというと、残念ながら、ほとんどグローバライゼーションに突っ込んでいるだけであります。

これが先ほど行った得体の知れないリスクをもたらしています。人びとに言いようのない将来の不安を与えているのです。この不安に対して明確なメッセージを伝えたり、明確な対抗戦略を持てない限り、いくら民主主義の危機を唱えても意味がない。なぜなら、民主主義と言うのはあくまでも形式です。誰が何を解決するのか、そして具体的に降りかかってくるリスクに対してどう共同で取り組まなければならないのか、そういう切迫したものを感じていなければ、民主主義は死んでいくのです。

まず2001年に何が起きるのか、そして2025年の日本はどういう姿になっているのか、生活と言うところから想像してみましょう。それは非常に寒々とした状況と言わざるを得ません。いわゆる金融ビックバンで、IASという国際会計標準を入れます。危ないのは年金の開示義務とキャッシュフロー経営であります。

2万1000人を切った日産は国際会計標準に正しく則ったのです。時価会計主義、凍結決算、年金債務の会議も、キャッシュフロー、すべてを満たしています。興銀とのいわばメインバンク制を断ち切り、持ち株を持つ子会社、系列は4社に絞り、2万1000人を削る。そしてヨーロッパのマイノリティーであるゴーンという人間を引っ張ってきてそれをやらせる。これが現在の日本の構図です。

ここで起きている雇用リストラや年金の将来不安は、一時的な不況で起きているのではなく、日本の1つの進路の選択の結果起きていると知ることが重要です。

日本はすでに銀行の自己資本比率規制は、88年のバーゼル合意を受け入れたわけですが、それがその後、我々の国を貸し渋りでめちゃくちゃにしたのです。その時大蔵省は含み益があるから大丈夫だと言って合意を受け入れた。それがこの有様です。そしてこれから、誰も考えずにまた2001年、ビックバンに突っ込もうとしている。

消費と設備投資がなお盛り上がらなければ、GNPのすでに1.2倍である600兆円という財政赤字は、さらに大きくなり続けるに違いありません。調整インフレをやる以外にこれを克服することができません。そうしたら、老人たちの貯蓄はほとんどタダ同然になっていく。2025年に訪れる光景はまずそこから始まります。

すでに高卒の就職率は41%。59%はほとんどフリーターに回っています。雇用流動化政策という名前で反対するか、雇用を守るか、こういう抽象的な話ではありません。すでに労働市場は分断化されていて、首を切られた中高年は再就職ができません。女子大生の多くが派遣に流れています。今都立高校の卒業生のうち、就職した人の半分以上が既にフリーターであります。彼らは社会保険を一切払わずに、親から貯金をもらって生きています。彼らが2025年になって高齢化のピークになる時、どんな光景になるのか。社会保険、年金も健康保険も一切払っていない人たちが大量に存在して、その親たちは後期高齢者になって、すでに介護保険の対象になっている…。今のままでは、必ずこうなるでしょう。すでに我々の眼前にあるのは、こういう社会保障と雇用のめちゃくちゃな状態であります。

またこのままいけば、農業はおそらく2007年から人口が急減し、都市近辺と山間部から次々と崩れていきます。ちょうど商店街が虫食い状に地上げをやられたときに集客能力が落ちてやがて全部が落盤したように、虫食い状になれば面的な水田の水利管理ができなくなります。そうすれば、我々の食も農も維持することができなくなることは火を見るより明らかであります。我々が選択している現実とはそういうものです。

我々は、また老人病院で老人を縛り付けて、多くの人たちがそのまま効率化されて、市場で取引をされて、安楽死させていくような、つまり動けなくなれば看護婦がいらなくなるような、そういう介護の悲惨な実態に対しても口を閉ざしています。

民主主義の危機というときには、周辺事態法や通信傍受法だけではなくて、我々の生活にあるあるいは起こってきている危機に対して、解決する課題を特定して、そして誰が何を、どのようにして解決するかということを発言することが必要なのです。政党がもし頼りにならないのであれば、すべての人々がそれを口に出す以外にないというのが私の結論です。

さらにもうひとつ、金子勝の発言を引く。経済視点から筋道立てて語ってくれるので、政治面の進歩のなさがわかりやすいなと思う。

「わたしは今のナショナリズムの勃興は、人びとのリスク不安を利用して、その受け皿を作るための道具だと思っています。」

グローバリズム・終身雇用崩壊の到来により、企業も人生を最後まで面倒を見てくれない、という不安が人びとの中にあった(今もあるが)。

「さしあたりナショナリズムという受け皿を情緒的に利用するということだと思うのです。ナショナリズムでは、ほんとうのリスクには対応できないわけです。なぜかといえば、いままでのアメリカ追従の製造業のキャッチアップとは違って(今までの、対米追従で安保とか何かを譲りながら、製造分野でアメリカ市場を開いて貰えばなんとかなるという路線がもたなくなった)、金融の分野ではとても勝てない(98年スキャンダルで大蔵省が弱体化した隙をつき、日本に乗り込んできた米国投資銀行にトドメを刺されている最中がまさにこの時期と思われる)。同時に、今の既得権益、ゼネコンと銀行の不良債権の癒着構造で公共事業が断ち切れない、社会福祉的なものへ転換ができない。つまり政権にとっては、自分たちのネックにぶつかっているのですから、転換をせず、シンボルの話をやるとしたら、ナショナリズムを利用するしかない。」

そうではなく、社会保険、年金の構造を変えたり、産業や金融政策についての国際的な交渉など、踏み込んだ改革が必要だと金子はこの当時すでに警鐘を慣らしている。

これに、
山口二郎 北海道大学教授(当時)
も続ける。
「実体的な政策課題は、金子さんが指摘されたように、非常に深刻なものです。これはまともに向き合おうとすると相当勇気もいるし、まして、解決しようと思うと相当な力がいる。今の政治家、政党にはそういう統治能力が多分ない。ないけど、政治家である以上なんかやっているフリをしなければいけない。

そうすると、無節操な利益のバラマキをするか、さもなくばやれ教育基本法がどうした、憲法がどうしたという話をして、問題のすり替え、逃避をするしかない」

であれば、ローカルなレベルで、ローカルなデモクラシーの中で政策を動かしていく必要がある、とした。

つまり、最近になって明らかになった特に2012年以降の某団体の圧力はもちろん、政党側にもこのようなつけ込みがいのある弱みが存在しつづけており、そちらの方が問題だ、とも言えるのかもしれない。

当時安全保障環境の変化が急速に起きていた。そこにこの年成立したのが周辺事態法だった。

これには
「日米ガイドライン交渉におけるジョセフ・ナイ氏らアメリカの強い圧力もあった」
と、前田哲男 東京国際大学教授(当時)はしている。

前田によると
周辺事態法は日米ガイドラインを国内法にしたものであり
当時のアメリカは日米安保を「反共の防波堤」から「周辺事態対処」へと全方向化する意向があった。

また当時、民主党の中には鳩山由紀夫党首を筆頭に改憲に熱心な人間も大勢存在した。

国旗・国歌法の採決では、民主党から
賛成議員が45人、反対議員46人出ている。

冷戦後の安全保障面含め、あらゆる面で巨大与党以外の具体的なオルタナティブがないことがいちばんの問題だ、との指摘が複数から出たため、ではどうすればいいかについても話し合いがなされた。

「経済的、政治的、社会的、文化的なさまざまな思想的な対抗軸をどうつくるか」
金子勝 法政大学教授(当時)
山口二郎 北海道大学教授(当時)

金子「1つはその思想的対抗軸を作る主体の問題です。そして全体の方向性、最後が具体的な内容、分野です。主体ということであれば、政党にはもちろん働きかけをしても、政党が主体となって社会が変わる事はないだろうと僕は思います。

社会が危機的な状況になった時、摩擦が強まると言うよりは、今は社会病理的な現象が広汎に広がるだろうと思います。

高齢者が社会的入院で、療養型病床群として存在していく。

社会の日常は、確実に暗くなっていきます。そういう事態をすくい取れるのは、市場でもなければ、護送船団でもありません。

アジアに共通する問題ならアジアの、日本の地域なら地域に共通する問題を解決するアソシエーション(=共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織)ができなければいけない。そういう多層的に積み重なったようなものが出てこないといけない。

つまり公共空間を、市場にも埋め込んでいくし、政府にも埋め込んでいかなければなりません。そうすると、具体的な問題がバーッと出てくるのです。そこでひとつひとつにどういう対抗軸をつくっていくかが大事なのです。

主体はそう簡単にはできませんし、いまは無力感そのものです。でも、私たちは徹底的に日常的な世界の中でがんばっている人たちに目を向けることが大事だと思うのです。

現実に切り込んでいくには、日常の生活の中に徹底的にオルタナティブを染み込ませるしかないのです。そういう日常といわゆる大きな話をセットにしていかない限り、説得力は増さないだろうと思う。

つまり、周辺事態法や通信傍受法や国旗・国歌法を生み出している日常そのものを問うということです。そういう構図が人びとの前に見えない限り、ほんとうの意味でのラディカルなデモクラシーは社会の底からは湧き上がってこないと思います。」

山口「結局、自民党的利権政治の矛盾みたいなものをいちばんかぶっている地域の中で出てきたものが、やはり本物だと思います。

(99年スコットランドの自治を大幅に規定した改革はなぜできたのか見てきた際の収穫として)1980年代サッチャーリズムが全盛を極めた時代に、いちばん中央からの締めつけを食って、地域の独自の住宅や社会保障や教育がどんどん削られていった時代に、スコットランドの市民たちは、地方分権を根本的にやって自分たちの地域政策を取り戻そうという運動を始めたのです。それから15年経ってようやく実現したのだという話を聞きました。

参考:スコットランド議会キャンペーン
hamada.u-shimane.ac.jp/img/old

そのリーダー、リンゼーさんによると、2つ大事なことがある。1つは時間の幅を長くもつこと、もう1つは、いつ変革のチャンスが来てもいいように、具体的な案をきちんと練っておくことだ、という。

ラストです。お読みいただきありがとうございました。

「市民的不服従を」
鎌田慧 ルポライター

今の国会は大政翼賛会になったという意見がありますが、僕はむしろ貴族院になったと言う気がしています。戦前、大地主が地租、税金を払うことによって貴族院議員の選挙権を持ったわけですが、今はたくさんの七光りの2世議員が親から地盤を受け継いでいます。

(このころ、さまざまな抵抗運動、住民運動が全国で起き始めていることに触れ)
こころと抵抗のネットワークといえます。(中略)こういう意思の示し方、その基本は「私」、「自分」です。服従しない私、服従しない自分を、これからどういう風に打ち立てていくのかと言うことだと思います。

僕も30年こういう仕事をしてきて、日本の現実を見ますと、いったい自分は何をやってきたのかという思いに駆られます。それでも、抵抗する人たちとともに、まだまだ書き続けて、ネットワークを結ぶための抵抗を続けていきたいと願っております。

テッサ・モーリス=スズキ オーストラリア国立大学教授(当時)

日常生活の場から、どうやって公的時間の回復ができるのか、どうやって政治活動を立ち上げる基盤を作り直せるのか、どうやって市民の生活の中への国家介入に抵抗しうるのか、そして、どうやって世界の政治、経済について自己教育が可能かという問題を検証しなければならないでしょう。その検証の過程で、国境を越えた市民運動とか社会運動のあいだの交流とか協力が、より重大になると思います。
人権が奪われた人たちは、限界はあるのだがある程度までは、他の人権が奪われている人たちとの連帯が可能だろう。そういう組織を※(オーストラリアで)つくろうとしているのです。どれくらい成功するかはわかりませんけれども、いまの日本の状態を見ると、同じような運動が必要ではないかと感じます。

※当時オーストラリアで作ろうとしていた組織というのは、1994年までの労働党政権でアボリジニに対しての謝罪を果たし、先住権の法も通すなど社会政策は進歩的であったが、経済面ではネオリベラル政策を取った為、「政府はアボリジニ・アジア系の移民の人権は考えているが、自分たちの権利は全然考慮しない」と、中間層、大企業以外の人たち、そしてとりわけ非都市の人たちは病院や銀行がなくなるなどする程度には考慮されていなかったため、非常に絶望的になっていた。

これに対応するための動きとして、オーストラリア人権委員会が、いろいろな田舎へ行って、人権というのはアボリジニだけの問題ではない。あなた方にもある。だがそれが侵害されているのではないか、と話すキャンペーンが行われていたことを指す。

三木睦子(三木武夫元首相夫人)
「私たちがそこで転げていても決して軍人さんは私たちを助けてはくれないのです。」
「(天皇在位10周年の時の芸大生の1人斉唱を聴いたときに)訓練のある人でなければ歌えない歌がわれわれの歌であっていいのかしらと思いました。」