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キエナイニュース

さらにもうひとつ、金子勝の発言を引く。経済視点から筋道立てて語ってくれるので、政治面の進歩のなさがわかりやすいなと思う。

「わたしは今のナショナリズムの勃興は、人びとのリスク不安を利用して、その受け皿を作るための道具だと思っています。」

グローバリズム・終身雇用崩壊の到来により、企業も人生を最後まで面倒を見てくれない、という不安が人びとの中にあった(今もあるが)。

「さしあたりナショナリズムという受け皿を情緒的に利用するということだと思うのです。ナショナリズムでは、ほんとうのリスクには対応できないわけです。なぜかといえば、いままでのアメリカ追従の製造業のキャッチアップとは違って(今までの、対米追従で安保とか何かを譲りながら、製造分野でアメリカ市場を開いて貰えばなんとかなるという路線がもたなくなった)、金融の分野ではとても勝てない(98年スキャンダルで大蔵省が弱体化した隙をつき、日本に乗り込んできた米国投資銀行にトドメを刺されている最中がまさにこの時期と思われる)。同時に、今の既得権益、ゼネコンと銀行の不良債権の癒着構造で公共事業が断ち切れない、社会福祉的なものへ転換ができない。つまり政権にとっては、自分たちのネックにぶつかっているのですから、転換をせず、シンボルの話をやるとしたら、ナショナリズムを利用するしかない。」

そうではなく、社会保険、年金の構造を変えたり、産業や金融政策についての国際的な交渉など、踏み込んだ改革が必要だと金子はこの当時すでに警鐘を慣らしている。

これに、
山口二郎 北海道大学教授(当時)
も続ける。
「実体的な政策課題は、金子さんが指摘されたように、非常に深刻なものです。これはまともに向き合おうとすると相当勇気もいるし、まして、解決しようと思うと相当な力がいる。今の政治家、政党にはそういう統治能力が多分ない。ないけど、政治家である以上なんかやっているフリをしなければいけない。

そうすると、無節操な利益のバラマキをするか、さもなくばやれ教育基本法がどうした、憲法がどうしたという話をして、問題のすり替え、逃避をするしかない」

であれば、ローカルなレベルで、ローカルなデモクラシーの中で政策を動かしていく必要がある、とした。

つまり、最近になって明らかになった特に2012年以降の某団体の圧力はもちろん、政党側にもこのようなつけ込みがいのある弱みが存在しつづけており、そちらの方が問題だ、とも言えるのかもしれない。